動物は驚き、危険、絶望の極限状況に置かれた時に、体は凍りついたような状態となり、意志が全く働かないことを多くの研究が証明しています。これは生物の自然的な防衛機能です。多くの性犯罪被害者が性犯罪に直面した当時、服従や不抵抗を選び、性犯罪者を極力刺激しないようにすることで、自身の生存を第一に考えることは、この防衛機能によるものでしょう。
この前の記事の単独インタビューは、伊藤さんと私たちが日本の法律における性犯罪被害者のあり方について話したものです。現行の法律では、叫び、抵抗し、相手の暴行の果てに怪我をさせられてはじめて、正義を貫く権利を行使できます。
法律だけでなく、社会も性犯罪被害者に対し、一つのイメージしかありません。見るからに弱っている、会話することさえできない、身なりが派手でないなどです。しかし被害者が生きている者です。彼または彼女が抽象的なコンセプトではなく、彼または彼女は紛れもなく彼または彼女自身なのです。
「最初の記者会見の時に、一人の記者が私に、あなたが黒のスーツを着ていたら、みんな簡単にあなたのことを信じるよって言ったんです。でも私は自分が一番着たいと思った服を着ますと答えました。」彼女は笑いながらこの出来事を振り返っていました。
当時の彼女は、飾らない自分でいようと自由気ままに、白いワイシャツのボタンを2つ開けて記者会見に臨みました。当然、当時の世間はこれを好意的にとらえようとはせず、「やっぱり彼女は尻軽女だ」など、彼女がこれまで乗り越えてきたさまざまな出来事の中でも、最もバッシングを受けた瞬間だったそうです。
「これが私がボタンをとめない理由なんです。私は人々が性犯罪事件に対して、このような理解しかないのがとても悔しいです。」彼女は当時の世間から受けたバッシングの恐怖がフラッシュバックしたかのように、時折言葉を詰まらせながら振り返っていました。
ここまで読んだ読者のみなさんは、伊藤さんを反骨精神のある人だと思うかもしれません。でも彼女の立つ角度から考えてみると、社会が考える安全や性犯罪被害者に対しての法規範はそもそも全く性犯罪者の罪に対し働いていないのではないでしょうか?反対に、性犯罪被害者が声を出せない、世論の圧力に常に晒される状況にあるのではないでしょうか?
自分のスタイルで正面から世界と向き合うことは、時として社会に大きな衝撃をもたらします。
「私はこれまでインターネット上で自分の写真を公開したことはありませんでした。でもなぜかたくさんの人がさまざまな方法で、例えば、私の友人のインスタグラムから私の写真を見つけるんです。その中には、あの事件の2ヶ月後、私が仕事中笑顔でカメラを持っているの見て、性犯罪事件にあって2ヶ月しか経ってないのに、あなたはレンズ越しに笑ってる、だからあのことは絶対嘘だって言うひともいました。」
彼女はこう振り返りながら、次第にボタンの問題ではなく、かといって仕事場で笑顔を保てるかという問題でもなく、どんな小さな事でも彼女を嘘つきに仕立て上げることができると気づいたそうです。人々は加害者に対して、ある種の単一的な想像しかしていない、つまり自分の想像と合わないところがあると、それだけで勝手に、加害者を無罪と考えてしまうようです。
「被害者や加害者がどのような姿であるべきかとか、どのように振る舞うべきかは全て横暴で偏った見方だと思います。なぜ私が自分の顔で、声で、名前で、話をするのか?これは事件の後も、私の人生は他の人と同じように続いていくからです」。
あなたは自分を信じなければならない
「でもご存知の通りまずは生きていかなければなりません、社会で生きていくためには仕事が必要で、仕事をすることで食事や生活に使えるお金が手に入ります。もし性犯罪事件のことを話すと決めたのならば、もしかすると仕事を失ったり、世論からの圧力にあうかもしれません。そして最終的には、生きていくのが難しくなるのです。」
「全ての人にはそれぞれ生きていくための方法があります。私は他の人にトラウマから立ち直る方法を教えることはできません。これも私が性犯罪被害者に対して言う、生きることを最優先に、あなたの思う方法で生きていってください、ということです。私は他の性犯罪被害者に、あなたの痛みはあなたが一番よくわかっています、他の人があなたの苦しみに対し意見したり、あなたの身に起きたことを適当に周囲に話したとしても、結局何が起きたかはあなたが一番よくわかっています。だからまずは最初にあなた自身が思うことを信じること、そして自分を信じなければいけません。」
彼女は淡々と「私の生きる方法は事実を語ることです。」と締めくくりました。
伊藤さんは自分の手のひらを見ながらこうも話していました。「実を言うと、私はお酒や睡眠薬の力を借りて、あの苦しい時間を生きぬいてきました。なぜなら絶対に生きていかなければならないから。もちろん私もこういうやり方がいいとは全く思いません。性犯罪被害者やPTSDの人がお酒や睡眠薬に頼らないのが一番いい、でも当時の私にはそれが必要だったのです。」この話を始めてから彼女の口ぶりはだんだん強くなっていきました。
まず生きることを最優先に、そして少し心に余裕が出来てはじめて、次の一歩を踏み出すことができます。しかし次の一歩のためには他人の助けが必要なのです。「もし性犯罪被害者が安心して話せないのなら、助けを得ることや、心の傷を治すことは難しいです。」
彼女の家のポストに入っていた手紙をきっかけにこのことに気づきました。「これらの手紙はたくさんの性犯罪被害者から送られてきたものです。彼女たちの身に起こった出来事はもしかすると、すでに10年、20年経っているかもしれません、でも彼女たちは支援をなにも受けられていません、このようなことがずっと彼女たちを苦しめ、傷つけ、彼女たちの日常を脅かしているのです。」彼女は語気を強めながら話していました。
「多くの人は彼女たちが沈黙を保つことは、社会にとってなんの損失もないと思うかもしれません。でも私は言いたい、これは社会にとっても大きな損失であると。」
彼女はレディーガガを例に出し、彼女のような大きな影響力を持った人物でも、7年の年月を耐えながら、PTSDと戦い、その7年後、ようやく過去に自分が性犯罪を受けたことを人前で話すことができたと言っていました。彼女はインタビューの中で彼女自身、現在も毎日苦しみながら生活していると教えてくれました。
「時々もう大丈夫なの?と聞かれるんですけど、私はきまって笑いながら、いえ、毎日頑張って生きていますと答えます。」伊藤さんは苦笑いしながらこう振り返り、日常の些細な瞬間に、あの夜の出来事が頭の中をよぎり、涙が流れることが今もあると教えてくれました。
「性犯罪で受けた傷は目に見えないもので、例えば骨が折れたり、鼻が変に曲がったり、流血したり、暴力で受けた外傷とは全く違います。でも肉眼で見えないからといって、それがないとは言えません。傷があるという事実は否定できないのです。」伊藤さんは「性」は人類が生きるための基本であり、一個人の性を傷つけることは大きな傷をもたらし、また尊厳を失わせることができると答えました。
「性はまた多くの戦争において非常に有効な武器とされてきました。一個人、家庭、コミュニティ、国、性はそういった全てを破壊することができます。」
私は山口氏にそこまで怒りを覚えていない
警察に通報した後、伊藤さんは家族にこう言ったそうです。「私は家族が第三者から事情を知らされることを望んでない。この出来事は妹にも伝えたい。もし彼女の身に同じことが起きた時、私の経験を伝えられるから。」
「私は幸運でした。出廷することや本を出版することなど、家族は私のすることに反対はしませんでした。でもあの時、父は非常に怒って、お前はなんでそんなに冷静でいられるんだ?怒るべきだ、なぜ怒らないんだ?と。母も非常に怒っていました。母の一番初めの反応は、そいつを殺してやるということでした。」伊藤さんは頭を横に振りながらこう続けました。「私に言えることは、当時確かに怒ったこともあったけど、いつまで怒っていても仕方ないということです。」
伊藤さんの家族の反応は感情的なものであったようですが、彼女の行動を妨げるようなことはしませんでした。伊藤さんによると、日本では多くの家庭が家族に対する侮辱だとして、性犯罪事件の通報をしないようです。
「当時家族と冷静に話をすることができませんでした。家族はとても興奮していて、あの出来事を話すことは彼らにとって非常に苦しく、難しいものだったと思います。」
痛みを表すことが支援につながる
時として、真実を言えば性犯罪被害者を苦しめるかもしれません。例えば検察官は当初、伊藤さんに対し「もし訴訟を起こしたら、あなたは今後記者を続けることはできない」と言ったそうです。伊藤さんはこれに対し、「わかりました。私は他の仕事を探すか、フリーランスになります」と答えました。
「私は仕事を失うことを受け入れられます。でも信念を曲げることは受け入れられません。」
彼女は笑顔を浮かべながら、これまで多くの素晴らしい人々が彼女を支援し、支えてくれたことを語り始めました。《Black Box》が一冊の本にできたのは、頼れる女友達の協力のおかげだそうです。
「当時の録音データはまだたくさんありますが、私はそれを再び聞くことはできません。あの本も友人の協力があったからこそ完成させることができたのです。」
《Black Box》の執筆は、想像もできないプレッシャーがあったそうです。伊藤さんを襲った加害者は同じ出版社の作家であり、彼女は絶対に知られないように、他の部署にも秘密を守り続ける必要がありました。そして最終的には、出版社が後戻りできないところまで本の出版をこぎつけたのです。
「編集スタッフがもしこの本の情報が漏れたら、たぶんいろいろなところからの圧力で、世に出すことができないから早く完成させないといけないって言ったんです。」
伊藤さんを支援してくれたのは女性だけでなく、男性もいたそうです。「この過程で、私にとってのヒーローがたくさん生まれました。例えば検察官ははじめ、とても憎たらしい態度でしたが最後は一人の人間として、私を助けてくれました。彼が私にしてくれたことは、彼自身の今後の仕事に影響を与える可能性もあり、結果的に不起訴処分にする必要がありましたが、それでも彼は最後まで頑張ってくれました。」
伊藤さんが歩いてきたこの道は一人では絶対に歩くことができなかったのです。「ここまでにはたくさんの友人の協力があり、多くの人が仕事を失うリスク抱えながら助けてくれました。かえって彼らの行動を止める時もよくありました。『そんなふうにしないで、もう一度しっかり考えてからしましょうと。』これは過去3年間、私が経験した出来事の中で最も素晴らしいことです。」
台湾が歩んできた道を見ながら、日本を信じる
今伊藤さんは日本の性犯罪被害者に代わって、安心して自分の思いを話すことができ、支援を受けられる環境をつくろうとしています。「少なくとも法律から変えて、たとえ表面と中身が違っても、規則を守ることから始められたらいいと思います。日本人は少なくとも表面を重視して、規則を守ろうとします。まず法律から始めて、教育の部分も推し進め、最終的には自分の話したいことが話せる環境をつくりだせたらなと思います。」
私たちは彼女にあなたの未来は明るいですかと尋ねました。「明るくなくてはいけません、そして変える必要もあります。これも日本が台湾から学ぶべきことで、今回台湾に来てから、台湾には多くの性犯罪被害者支援団体や福祉事業、メディアがあることを知りました。現在の状況は完璧であるとは言えません。でも日本と比べると、台湾の法律と支援システムは確かに先進的だと思います。」
彼女は目を輝かせながら、「振り返った時に、台湾がこれまで長い道を歩んできたことが分かると思います。その道は日本も絶対にたどることができます。現在の環境を少しずつ改善することで、最後には絶対にやり遂げられると思います。」
彼女は現在日本に帰っても恐怖にかられることはなく、逃げ隠れすることもないそうです。これはパートナーの支えが彼女をそうさせただけでなく、彼女自身も仕事を通して、自分にはまだ多くのことができると感じたからだそうです。最近彼女がニューヨークで獲ったドキュメンタリーに関する賞は日本の孤独死の問題を題材にしています。この作品の中で、彼女の目は依然として日本に向けられているのが分かります。人と人との繋がりがどのように失われ、またどのようにそれを再構築していくのかについて深く考えさせられる作品です。
「私は最近総合格闘技習い始めたんです。でも人を攻撃するためじゃなくて、自分の体の感覚を養うためです。」彼女は笑いながら、言いました。
彼女は今、自己と身体を新しく結びつける、人と人が互いに気遣いながら、健康のために助け合うコミュニティを作ろうとしています。性犯罪被害者だけでなく、人と人との失われていった結びつきと気遣いの社会、これらが社会のさまざまな痛みをどう癒していくのか、自分だけでなく他人をどう支援していくか、これが彼女が現在立ち向かっている問題です。
インタビューはここまでですが、これは性犯罪被害者の課題だけでなく、全ての人が共同で各自取り組んでいくべきことだと思います。
翻訳:上田祥平/ 校正:西野李紗、Sunny
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